旧上郷村長沢地区。長沢川(関川水系)に寄り添い、村の中央を走る国道292号線を進み、県境を超えればそこは長野県飯山市。冬でも行き来が容易で、県境をまたぐ通勤者も多い。
関田山脈の尾根を挟んで気象風土に差があるものの、信州の文化色が残る土地柄。
地区最大の祭り「長沢よみや」の花どうろうは、上、中尾、番場、下の各平から集結する。沢を囲むように、山の斜面に点々とする人家は長沢らしい風情があり、田畑の耕作に加えて養鯉業を営む者や、在来のスジエビの自然養殖も行われている。
村の中心には、廃校となった旧長沢小学校校舎(食品乾燥機による産品作り)、公民館、国内初のNPO(NPO法人いきいき・長沢)が運営する郵便局、高齢者支援ホーム(長沢いきいきホーム)、平成2年創業の第3セクター「長沢茶屋」では、歯ごたえのあるヤマゴボウつなぎの田舎蕎麦が名物。
雨乞いが起原というよみやは、八王子神社の秋祭りの宵宮として行われる事からそう呼ばれている。夕方から始まり、太鼓の音とともに急な石段を登り4基の花どうろうが集結してクライマックスを迎える。華やかで勇壮な祭り。
長く切れないのが長沢の蕎麦の特徴で、蕎麦のつなぎとして地元で栽培するヤマゴボウ(オヤマボクチ)。その葉の繊維がふんだんに入るため歯ごたえがある。知名度では勝る富倉の蕎麦と同じ流れを汲む、地域伝承の味。
昭和初期、新潟県で生まれ寒さに強く玉のように丸々とした鯖尾の金魚。新井南部地域の山間地の養鯉業者によって「妙高玉サバ」として受け継がれている。
旧平丸村。ヒトが出現したという地質年代で最も最近の、第4紀層の海成層として日本で最も高く隆起していると言われている「関田山脈」。その地質を実感できる妙高きってのジオスポット平丸。
地すべり、白い砂岩、木曽清水、化石、屏風岩(びょうぶいわ)、切り立った山肌、ブナ林。その平丸から産出する山菜の味の良い理由の一つと言える。平丸川(関川水系)が村の中央を流れる。
嫁沢(よめざわ)温泉として汲み取り可能なスタンドがある(要問合せ)。色は黒みを帯び、泉質は 含硫黄ナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉。
平丸の入口では白岩清水がお出迎え。白岩会館、平丸簡易郵便局には「つくし」という地区で運営する売店があり、コミュニティスポットとなっている。平丸は伝統的な「スゲ細工」工芸品の生産地としても名高い。
寸分道は上平丸や小局からアクセスできる。世帯数も少なく、市内の樽本地域と並ぶ秘境の地。標高500m、第3セクターの深山の里には肌がつるつるになる仏ヶ峰温泉があり、田舎料理が食べられる(要予約)。廃校を利用した寸分道リズムアンサンブルの拠点もある。
雪深い冬季の収入源として作られた民芸品で干支が作られる。日本郵便の年賀切手として2度採用され、昭和46年の「いのしし」、平成14年の「稲馬」はデザイン性の高さの証。当地でスゲはカサスゲ、イワスゲなどと区別されしめ縄などにも利用されるが、イノシシはシナノキの皮を利用するなど、それぞれの特徴を活かしたアレンジが施され完成度が高い。
ウド(山独活)は生強い植物でどんな所でも生育するが、雪にさらされる環境の赤べとと呼ばれる粘り気のある土に加え落差のある斜面に育つ山菜は、養分をしっかり吸収し、アクのバランスが良く、味が濃厚に感じられる。新井南部の山間地の村々はそれぞれが自負する天然の山菜が生育する。
慶長10年(西暦1605年)に、石田大炊之助(おおいのすけ)によって、飯山の高源寺より移された観音像は、慧慈(えじ・朝鮮の僧侶)が聖徳太子に授けたものであるとの言い伝えがある。毎年4月18日ころの土日に祭りがひらかれ、御開帳となる。
もぐさ観音(妙高市下平丸)
棚田の景観を美しく見せる馬場川(関川水系)の谷を挟んで大小の集落が点在する。馬場川はよし八池に繋がる。上越市板倉区と県道254号線で結ばれる。信越トレイルの仏ヶ峰山頂に最も近いアクセスポイントである。
第3セクターの大滝荘は、この地域在来の小そばを原料にした蕎麦が食べられる。自然の動植物に囲まれ風光明媚な滞在スポットである。
地域で消費する味噌の仕込みを中心に、一般販売もしている大濁味噌の加工所がある。米と豆を提供して仕込んでもらうという農村地帯ならではのやり方も残っており、働くのも地元のかた。
馬場川中腹、北川斜面に位置し妙高山や棚田の絶景スポット。上越市板倉区の天然沼由来のかんがいため池「大池」への広域農道が敷かれている。
羽山の駐車場から歩いて往復約30分。地図に載っていない滝として2003年頃話題になり、幻の大滝として散策コースとなっている。
旧泉村。関川沿いに広がる市街地に近いエリアだが、限界集落の小濁や木成、砂利の採掘所、リサイクル場、畑作地の大貝と特徴のある集落が混在している。
市街地からそう遠くない場所にありながら、小濁、木成共に限界集落としてささやかに暮らしている。小濁は2009年より市民参加による陶芸の窯(小濁窯)等の活動が行われている。
道路脇に古い民家が点在して、県道上小沢北条線が一層狭く感じる。明治七年設置〜平成10年に洗い見ない小学校に統合された上馬場小学校跡地がある。
古屋と斜面を利用した田畑で耕作を営む景観が印象深い。産神(さんがみ)様が祀られ、かつて9月24日はぼたもち神様といい、妊婦さんが集い安産を願ったという祭りがあった。そのぼたもちは安産をもたらすほか、神前に灯したローソクをお産中の妊婦の枕元で灯すとローソクの終わる頃には産まれるという逸話がある。
長沢、平丸、瑞穂、泉農協の各支店が統合され、現在新井南部地域のJA支店は下濁川にある、えちご上越農協 泉支店が新井南部地域の管轄となった。下濁川の山頂には旧石器時代の鴻ノ巣遺跡が存在した(砂利の採掘のため消滅)。
関川沿いに耕地整理によって水田が広がる中横山、その高台にかんずりの唐辛子の生産地である大貝がある。大貝は上越地方でも珍しい火焔型土器が出土していて、市内の郷土資料室に展示されている。
旧上郷村。昭和の合併の際、原通村の大沢新田が瑞穂地区に編入した。猿橋城址がある向山(むかいやま)、関川を挟んで大沢、楡島は水の豊富な地域である。
みずほジャーナル開始(2015/04/17)
湧き水仕込みを売りにする日本酒蔵元の鮎正宗酒造がある。猿橋はトレッキングが可能な猿橋城址、旧猿橋小学校校舎、猿橋郵便局がある。東関の寺社では8月27日にからこまつりが行われる。
関川には5月に毎年地域の有志により鯉のぼりがかけられる。ねおかんぱーにゅ南部という地域活動拠点がある。
3mも4mも積もった雪も4月ともなれば暖かい風が吹き、東関山をはじめ、段々田んぼの畔にふきのとうが柔らかい芽を出し始め春を告げる。 東関、猿橋の山は残雪の残っている所と、雪が消えて黒い山肌をむき出しにして春を待っている姿は雪国でなければわからない...
田起こしした土は、20センチほどもあって、水に浸しても壊れにくいため、コロつぶしといい、5センチ程度に砕く作業があったそうです。妙高市楡島地区に伝る農作業唄を収録
平成15年に建て替えられた保育園併設の新井南小学校を中心に、妙高市の地域サポート人の事務所となる旧克雪センター、体育館、駐在所があり、新井南部地域の中でも平場で人が集まるエリアとなっている。
新井市街地から国道292号線を通り、新井南部地域の入口となる。鳥坂郵便局と、鳥坂発電所がある。高床山の登山道入口もあり、山の中腹には鳥坂城址がある。
除戸には、現在新井南部全域の小学生が通う妙高市立新井南小学校がある。
関川を境に西側は黒ボク土である。大原、小原はかつてタバコ生産が盛んで現在は畑作や水田が広がる。大原にある漬物加工所(南越後ふるさと振興)では粕漬けや味噌漬けなど地域を活かした野菜の加工が行われている。
小原新田にある新井南部地域のランドマーク、妙高市管理の新井克雪管理センターは新井南体育館が併設され、地域サポート人(総務省)の事務所がある。新井南駐在所が隣接している。
小原新田、大原新田、大沢新田は、明治時代後期から昭和30年まで、上大塚新田、中原新田、坂下新田、寺尾 等の村々と合わさった原通村に属していた。原通(村)は関山神社と縁が深い。
標高500m級の高床山から花房山をバックに関川と挟まれた、なだらかな黒ボク稲作地帯。国際環境アウトドア専門学校がある。
原通は地理的、歴史的に新井南部地域と関係が深く、一部サイト内で紹介している。
妙高市立新井南中学校は、平成22年3月31日をもって、54年の歴史に幕を下ろしました。「南中公認」はその最後となる全生徒・職員が公認した地域の財産です。
102段の石段を登り、六地蔵、大銀杏がある。お堂には、木彫の薬師如来像や、釈迦牟尼如来の涅槃絵の掛軸などは毎年5月5日の祭で拝観できる。
寺尾の薬師(妙高市寺尾)