2021年1月アーカイブ
朝ご飯がすむとミノを着て荷縄かついで、藁靴にカンジキつけて、近くの山へ若木の迎えに出掛けます。
この日ばかりは、どこの山のボヨ(小木)を切っても背負われる位の量なら誰にも気をつかわず、ところかまわず切って、若木を迎えられたのです。
その迎えた若木で風呂をわかして入ると、すっかり若返る。又、炉バタで若木を燃やした火にあたりながらあずきがゆを煮上げ、15日の朝に餅をいれて食べたらまた、ひとつ若返り、家中皆んな若返ったということです。(「南部の味と暮し」より 参考文献)
15日の朝、子供たちが中心になって村の各戸をまわり、藁をもらい集めることからこの日の行事が始まります。集めた藁を肩にかついだり、ソリにのせたりして塞の神の田んぼまで運びます。大雪の年などは、村の中の道を歩くのも一苦労で、すべったりころんだりしながら、それでも藁一束を一生けん命かかえて運んだ覚えがあります。
藁を運び集めると、塞の神の芯木にする雑木(なら、くぬぎ)や孟宗竹をもらいに行きます。芯木、藁がそろうといよいよ積み上げです。芯木のてっぺんに藁人形を飾り、藁束を幾重にも芯木に巻き付けていきます。大人の人たちの手際の良さに、子供たちは雪遊びをしながら目を見張って眺めていたものです。
夜早めに晩ごはんを済ませ、みのぼしや角巻きをかぶり提灯をかざし、三々五々「おつかれさんでごんす」と挨拶しながら、村中の人たちが集まってきます。塞の神に点火されると正月飾りや書初めも燃やされました。書初めは空に高く昇っていくほど、習字が上手になると言われ、子供のころは書初めの行方に一喜一憂したものです。下火になった灰の中で餅を焼きます。まっ黒こげの餅はカゼ薬になるとか、頭が良くなるとか言われ、口のまわりを黒くして食べたものです。ひび割れしたほっぺたや、しもやけやあかぎれの手をこすり合わせながら、燃えさかる火にあたり、家族の無病息災を祈りました。(「あらいのごっつぉ」より 参考文献)